今回は臨床の話から離れ、診療看護師のモチベーションの話です。
10年ほど前のこと。
看護師になって10年目の私は、海外医療への興味でミャンマーの山奥に医療支援に行きました。
現地はライフラインが不十分で生活するのもやっと。
水は出ず、電気もつかず、「どちらも止まって3日目だね」ということも珍しくありませんでした。
当然ながら医療機材も生活物資も、そして人材も最小限の環境で医療が行われていました。
それでも、医療施設が圧倒的に少ないためか、医療を求める患者さんで外来も病棟も常にいっぱいでした。
患者さんにとっての医療の重要性は日本とは全く違います。
重症の疾患を持ち、アクセスは悪く、お金もなく、そんな患者さん達が遠方から一大決心で来ていました。
そのような患者さんを断ることはできません。
就業時間など決まったルールは通用しません。
例えば夜中の2時、3時まで手術をし、そのまま床に寝落ち朝5時には通常通り起床することも珍しくありませんでした。
患者さんの多くは今日の食事代もままならない人たちでした。
医療費を払うと残りは僅かで、食事を抜くか、または治療をやめるかしかありません。
そんな選択が当たり前にある中でも彼らは笑っていました。
そして感謝を忘れない。
忙しくて食事も取れず働いている私たちになけなしのお金で買った食料をそっと差し入れしてくれる。
お花を編んで飾ってくれたり髪飾りを作ってくれたりしてくれる。
小さな事に感謝し些細な事に喜びを感じる。
そんな彼らの心の優しさにどれだけ助けられたことでしょう。
支援に入ったはずなのに、実際は私たちが彼らの優しさと心の豊かさに支えられていました。
【その中で学んだこと】
1,自分の未熟さ。医療者として人ととしての未熟さ。
現地と日本では、言葉も文化も常識も、そして環境も違います。
日本の「正しい」が「正しく無い」ことも多々。
検査もできず、薬も最小限しかない環境で、解決策を探らなければいけません。
今できることは何か、不十分なデータを最大活用するにはどうすべきか、患者さんと向き合うことは、自分で答えを探す毎日でした。
その中で、自分の未熟さと柔軟性の無さを直視し受入れることが大切であることに気づきました。
2,仲間、チームの大切さ。
生活資源や医療資源が限られた環境では、個人の力だけではなくチームとしてうまく機能するかが最も重要。
一個人の秀でた能力よりもチーム力が問われたのです。
一人として倒れるわけにはいかない環境の中では相手を思いやり尊重することも必須でした。
ミャンマー人スタッフのサポート無くしてはチームとして成り立たず、チームの中には人種の壁も資格の壁も取り払って、常に助け合う必要がありました。
帰国後、チーム医療・自立・責任・診療という視点から,自分の実力をもっと高めたいと思い、『診療看護師』の道へ進みました。
予想に違わず、そこには様々な学びがあり、私自身で成長の手応えをかんじていました。
そして去年の夏。診療看護師になって3年目で夏休みを使ってカンボジアに入りました。
当時一緒に働いた仲間と再会し、ほんの数日ではありますが働かせてもらいました。
当時より少しは役に立つかなと思っていましたが、とんでもありませんでした。
そこには相変わらず厳しい現実があり、そこに立ち向かう素晴らしいチームがありました。
ほんの少し成長した私ですが、改めて多くの洗礼を受け、また多くの優しさと笑顔のシャワーを浴びました。
小さな興味から始めた海外への医療支援と診療看護師の仕事、全く違う2つの世界ですが、そこには大きな成長のカギがあると感じています。
私は、またいつか現地に赴き、その時も自分の未熟さを実感すると思います。
初心を忘れず、これからも成長できる自分でありたいと思います。
記事担当:診療看護師 勘澤 晴美